眼前で演奏 弾む会話

 夕暮れの代々木上原。駅から続く商店街の先、静かな住宅地へ向かう上り坂の途中に、コンクリートの外壁が穏やかな曲線を描く建物がある。
 
外からは大きめの住宅にも見えるが、中に入れば小さなコンサートホール。バルコニーや中二階に囲まれたフロアには、段差がない。楽器を置いた場所がステージになり、周囲にイスを並べればそこが客席になる。
 この夜のピアノ・コンサートは、ムジカーザの主催公演。演奏が終わるとホール内で立食パーティーが始まるのが恒例だ。聴衆がスタッフを手伝ってイスを片付ける様子を、設計者の鈴木エドワード(57)が楽しげに見守る。
 「いい演奏を聞いて感動を覚えれば、語り合いたくなるものです。聴衆がばらばらに帰るのではなく、そこで一緒に語り合う場にしたかった」

 「ムジカーザ」という名はイタリア語の「ムージカ(音楽)」と「カーサ()」の合成語だ。「家」というのは比喩ではなく、この建物は黒田珠世代表(50)の自宅も兼ねている。黒田自身もピアニストだ。
 「音大を出て間もない若い音楽家には、なかなか発表の場がありません。演奏者自身の力でコンサートが開ける規模のホールがあれば、と思っていました」
 首都圏にあるホールの大半は、定員が300人を超える。ここの120人は群を抜いて小さく、そのためもあってか貸しホールとしての稼働率は高い。若いクラシック音楽家を支援する「未来からくる演奏家を聴く会」も、昨年7月以来、ほぼ毎月演奏会を開いている。「規模に比べて、いいピアノもあり、ぜいたくなホール」と事務局長の宮島将郎(67)は話す。

 チェンバロ奏者の岩渕恵美子(48)が、初めてムジカーザで演奏したのは1997年のこと。「ピアニシモが出せるホール」と絶賛した音楽誌の記事を読んだのがきっかけで、毎年リサイタルを開くようになった。
 「ここでは、楽器の限界まで小さな音を出した時も、皆さんがそこに近づいてきて、一生懸命聴いてくださる。その緊張感がいいんです」
 演奏者の目の前に人々が座り、一人一人の気持ちが演奏者に伝わる。コンサートホールが生まれる前の西欧で、教会やサロンで楽器が演奏されていたころ、音楽家と聴衆の関係はこうだったのではないか、と思わせるものが、このホールにはある。 

(敬省略)
片山一弘

讀賣新聞・日曜版「喝采」2005年6月26日

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2005/6/3(金)
第57回ムジカーザコンサート「小曽根真 in MUSICASA」
小曽根真(JazzPf), ゲスト : 中川英二郎(Tb)